プロフィール

こんにちは、私はrafa(石井一)と申します。

妻と小学校の子供3人を持つパパです。

世の中に数億以上あると言われるWebサイトの中で私のブログに来ていただいたことを感謝します。

このご縁を大切にしたいです。

もしあなたが、

・経済的な自由を手に入れたい
・わずらわしい人間関係から解放されたい
・気の知れた仲間と楽しく自由に過ごしたい

そう思われているなら、
ぜひこのページを読んでみてください。

将来への不安。
いったいコロナはどうなるの?
収束はするのかな?日本の経済がボロボロになると、自分たちの生活も大丈夫なのかな?

現状への不満。
こんなに頑張っているのにお給料はちっとも上がらない。
朝から晩まで働いて、このお給料かよ。

幸せの目的はお金ではありません、幸せに成るための一つのツールにしか過ぎません。
でも、凄く大切なツールですよね。

お金があれば、実はこの世の中、大概のことが出来ます。

そこで、想像してみてください。
お金は稼げています。
では、時間は、どうしましょうか?

なんか、この世の常として、お金稼ぐためには自分の時間を切り売りして働くんだって感じですよね。

昔、CMで24時間働けますか?ってコピーが流れて流行りました。
それで、幸せでしょうか?

ゆっくりと自分の周りを注意深く観察してみてください。
この人、この家族って、いったい何をしている人たちなんだろう?

平日の昼間から、悠々自適に楽しんでいる感じがビンビンしてきます。
そんな方々を見かけるはずです。

不思議では無いですか?

さて、私のちゃんとした自己紹介が遅くなりました。

冒頭に書きましたが、今は愛する家族を持つ普通のパパです(笑)

ただ、ここに来るまではちょっと特殊です。
実は若いころ家出しました。

大学入試を二浪してQ大のI学部に合格。
その為に、死ぬほど勉強しました。
でも、合格したら、その反動で授業もそっちのけで遊びまくったんです。

当然、学生課から両親に連絡。
もともと折り合いの悪かった父と大喧嘩。

後先考えずに家を飛び出し、東京にバイク一つで向かいました。
最初は、芝公園で野宿(ホームレスです)。
なぜ芝公園だったかって、東京タワーが見れたからです。
それだけです。

でも、なんか、その時に、色んなものから解放された気がしたんです。
我が家は代々のお家柄(笑)窮屈で、窮屈で。

はっきり言って、本当に医者になりたかったわけじゃ無かったし。

俺は自由だ~~って(ま、若気のいたり、その後無茶苦茶苦労したのですが。

でも、その時のお金も何もないのにフリーな感じ、自由に成れた感じが、今でも私の心の奥底に小さな炎として灯っているんです。
それは、とっても小さな炎ですが、今でも私の自由への渇望の原動力です。

冬の時期に東京に到着したのですが、寒くて寒くて。
でも、泊まるお宿代金を潤沢に持っているわけがありません。
そこで、たまたま東京タワーが見える公園に野宿することにしました。

そこが芝公園です。

寒いですから、昼間は公園で寝て、夜に働くことにしました。
アルバイトの雑誌で、クロネコヤマトの夜間荷物仕分けの仕事があることを知り、新木場にある営業所で夜勤として働く事にしました。

そこでまずは日銭を稼ぎ貯めてから、安くても良い、兎に角アパートを借りるつもりだったのです。

一か月ほど働いて、少し貯金が出来たので不動産屋さんを回り始めました。
そこで、私にとっては、まさかの壁が有りました。
そんなことさえ知らない、本当に世間知らずの子供だったんですね。

そうです!
保証人がその頃は絶対に必要だったんです。

その時、私には、保証人になってくれるような人間はいません。
何件も不動産屋を回りましたが、貸してもらえる物件は有りませんでした。

営業所には仮眠室みたいなところが有り、そこに住みついてるような人たちも沢山いました。
でも、私は、そんな人たちには成りたくなかった。
休みになると、ただ朝からパチンコや競輪。競馬、競艇に出かける人たちを見て、自分に言い聞かせました。

そうなっては駄目だと。
そこに一緒にいてはダメなんだと。
だから、公園での生活を続けました。

ある日、たまたま入った不動産屋さんに杉並区に保証人がいらないアパートがあるよ。
一階がラーメン屋さんで、二階が住み込みの店員さん用の部屋だったらしいんだけど、今は店員さんがいなくて空いてるらしいよ。

ただ、親父さんと奥さんの面接があって、そこに住めるかどうかはそれ次第なんだけどと。

もう、そこしかありません。
簡単な履歴書を持って面接に行きました。

ご主人も奥様も凄く温かい方で、私の話を聞きながら、馬鹿なことしたね~と笑いながら、二階に住むことを快諾してくれました。

色々とお世話になったご夫婦ですが、今はご主人の出身である長野県更科に戻られて手打ちそば屋さんをやってらっしゃいます。

まず、布団一式を買いましたね。
人生で、あれほど布団に感謝したことは無かったです。

さて、もう夜勤は辞めようと思い、次の職を探しました。
ここでも、私には一つの壁が有りました。
それは、私は九州から出たことが無かったので標準語(東京弁?)がほとんど話せないということです。
夜勤の時もずいぶん、お前は何言ってるか分からない!と叱られました。

東京弁を学ぶ為には何が手っ取り早いか?
考えて、接客業だろうと単純に考えました。

しかも、やっぱり東京に来た以上は成りあがりたい。
お金持ちとか社会的地位のある方々が来る所。
そうだ!
銀座や赤坂のCLUBだ!
そこのボーイさんになれば、言葉も話せるようになるし、なんか良い出会いもあるかもしれないなんて考えたんです。

ハハハ。

面接で、落ちる、落ちる。
君は標準語は話せないのかい?
だったら、うちでは無理だと。
落ちまくりました。

ならばと、いきなり歌舞伎町にシフト。
古い先輩がいない、新規開店のお店で、会員制で高級CLUBを探しました。

そこが、後に私の東京生活を変えてくれた方との出会いになります。

J倶楽部です。

マスターの面接に受かり、お前、面白いな、言葉はそのうち話せるように成るだろうし頑張れやと。
やっと雇われました。

会員制でお客様はほとんど来ません。
私はカウンターの中にいて、待機している女の子とずっとおしゃべり。
それが本当に東京弁の勉強になりました。

お客様が来ないので、女の子たちにつまみを出してあげたり、ちょっとお酒を出したりして、楽しくやっていました。

カラオケも歌い放題でしたから。

マスターは、そのうちお店に来なくなり、私に任せっきりに。
この店、大丈夫なのかといぶかりましたが、資金は何故か潤沢でした。

そんなある日、ヤクザみたいな方々が団体でいらっしゃいました。
ビビった私は、マスターに連絡。
マスターが飛んでやってきました。

その団体とは、叙々苑の社長はじめ専務、常務達でした。

そうなんです。

J倶楽部は、叙々苑が多分税金対策で(笑)コアなお客様相手に作った高級会員制倶楽部だったんです。

後々、沢山の有名人の方々がいらっしゃるようになりましたが。

私を見た怖い顔の方(新井社長)が、いきなり、お前はなぜ此処にいるんだ?とどすのきいた声で聞いてきました。

俺、やっぱりこんな所には合わないんだ、駄目なんだと思って、すみませんと謝り、首なんだなと思いました。

すると新井社長は、マスターに、明日からこの子は俺が預かるからな。
バイトは、他探せ、良いな。と。

私は、は??です。
君は名前はなんと言うのかな?
石井です。
そうか。
車の運転は出来るか?
はい、免許証は有ります。
じゃあ、明日から俺の車の運転な。
は?
君は、こんな所にいる男じゃないから。
俺が預かる。
は?

それから一年半、ずっと付き人兼運転手兼マネージャーをやりました。

まだ、叙々苑も黎明期でしたが。
社長の夢や思いにも共感し、また、本当にすばらしい方でした。
お前はずっと俺の傍にいろと可愛がっていただきましたが。

ただ、ほとんど付きっきりで自分の時間が無かったのです。
ずっと運転しています。
後は、社長の行動を把握しての段取りで、ずっと電話です。
土日は、一日中ゴルフ場ですし。

社長の行動を全て把握し、動くのは楽しいことも有りましたが、大変でした。

色々と悩んだ末に、お暇をいただきました。

最後まで、止めていただきましたが、さすがに無理でした。
今でも、新井会長の御恩は忘れていません。

ただ、繰り返し書きますが、自由な時間こそが私は一番欲しかったのです。

そこから、何をしようかと色々と悩んだのですが、叙々苑に配達に来ていたS急便のドライバーさんと仲良くなっていたので、色々と話を聞いていて、じゃあ、そこやるかって感じでS急便へ入社したんです。

さあ、S急便に入りました。

初任給が100万円だった時代です。
そんな時代が有ったんです。

凄い酷い会社でした(過去形ですよ、今は違います。)
月に休みは2日もらえれば良い。
月に1日の事がざらでした。
朝は6時前に出勤。
夜はその日に帰れればラッキーな会社でした。

月に100万円もらっても合いますか(笑)
合いません。

あんなに時間が欲しかったはずなのに、目先のお金に飛びついてしまいました。

そこでそこそこ出世して、ドライバーでは無く役職になると今度はRルートへ転職。
ここも変わらず働かされる会社で、休みは少し増えたものの就業時間は変わりませんでした。

このままじゃ死ぬなって何度も思いました。

確かに、お金はそこそこもらえるのですが、時間がない。
しかも、後輩、部下、上司との煩わしい人間関係。
私は、最年少の役員となりましたが、今度は大きなクライアントとの関係。
毎週の接待ゴルフ。
会社に拘束?縛り付けられるだけの人生?

もう、限界でした。
叙々苑でも自分の時間がなく、S急便でも、Rルートでも、ただ働くだけ、少しお給料が良いかもしれませんが、時間がない、自由がない。
Rルートでは、私は海外旅行は禁止でした。
私だけでなく、要職についている皆がそうだったんです。
信じられますか?
会社のためだけに働いている感が、私の中で限界を超えました。

無理~~~~。

あ、どうでもいいですが、私一回離婚しています。
そりゃ、無理です。
家にほとんど帰らない、いや、帰れないんですもの。

家庭は修羅場でした。
まあ、よくある話ですが。

何か無いのか?

本当に、俺の人生はこれで良いのか?
このまま、終わってしまうのか?

悩みました。
悩んで、悩んで、色んな事をネットで調べました。

そして、そこで出会った情報、学んだ情報をこれからあなたに伝えて行きたいのです。

それは、お金の心配から解放され、時間も自由に使えて、将来への備えも出来る夢のような、でも、それは現実的になること。

私はご縁を大切にします。
ホームレスだった私が、ここにいるのは、実は私が優秀だったわけでも人一倍頑張ったからでも無い気がします。

縁を本当に大切にし、仲間を助け、仲間から助けられ、それは上司だったり部下だったり同期だったりもしましたが、裏切らない、だまさない、嘘をつかない、真摯に向き合う事を大切にしてきたからです。

きっと、あなもあなたが思い描く自由とお金とが手に入るはずです。

私がそう成れたように。

この世には怪しい情報ばかり。
詐欺まがいばかり。

そのあたりも詳しく説明していきます。

長いプロフィールを読んでいただいてありがとうございました。

自由という名の帆を上げて、私と一緒に人生という大海原に出航しましょう。
時には嵐にあうかもしれません、でも、大丈夫。
このヨットは沈みません。

きっとすばらしい未来があなたを待っているはずです。

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